先週末、岐阜白鳥の「ものもりの森」に初めておじゃましてきました。

本当は自由学園の学生さんのワークショップに同行させてもらう予定が、台風の影響でWSが中止になり、急遽ほぼマンツーマン?のような贅沢な森ツアーになりました。

 

 

ここの主役はあくまでも森で生きる広葉樹たち。

より良い森にしていくために、
「この木は伐り出してもっとここに光が入るようにしよう」とか
「この木はこのまま残して100年後に使ってもらえるように周りを手入れしよう」とか
「この木は実生の子孫を残してもらうために母樹になってもらおう」とか、
あくまでも森や自然のためにどうあったら持続的につながるかということを考えての木材利用と育林がされています。

 

 

私も岐阜の森林文化アカデミーにいたときはいつも山や森とつながって木を使っていたのに、今は自分が町で木を使うときは、もう丸太になったり製材された状態で出会うことが多くて、
「この木は私が使ってもよかったんだろうか?」
「この子はどこの山で育ったんだろう?」
「皆伐や乱獲で自然を荒らすことにつながってないだろうか?」と不安に感じることが多々ありました。

 

特に広葉樹に関してはどこの木材か入手ルートが追えないことがほとんどで、外材にせよ国産材にせよ、常にその不安がつきまとっています。

 

「もの森」ではちゃんと広葉樹を育てつつ、少しの小径木や曲がった木や風倒木も、家具材や木工雑貨として上手に使われ生かされていることを見て、なんかホッとしたというか、ちゃんと未来や本質を見すえた心ある森づくり・ものづくりを試行しているところを見せてもらって、ありがたく思いました。

 

実生からたくさん生えてきたブナの赤ちゃんたち。

鹿よけの柵の中ではミズメの幼樹などがたくさんスクスク育っていて、まるで樹の幼稚園のよう!

 

 

 

 

そして麓の白鳥林工さんには伐木が製材されていて、特に出会えてテンション上がったのはシナの木!
今までシナベニヤのような製品でしか見たことなかったよ。
ごめんよ、ちゃんと山で生きてたのになぁ、何も知らなくってゴメンよ〜って思いました。

 

他にもカエデ・クリ・カバ・ナラ・ハンノキ・アオハダなどなどいろんな木を見て、うちら人間は命あるものを分けていただいているんだなぁと改めて感じさせてもらいました。

 

 

日本の広葉樹は資源としては減っているとのこと。
皆伐されたあとに放置されるか針葉樹を植えるかするなどにより、良好な広葉樹林は減っていることなど聞き、ただ「好きな木を使えばいい」という無計画な消費はあかんなと肝に命じています。

 

時々は川上の源流の状態をちゃんと知って、この良さも問題も身にしみて感じないとな〜と思いました。
ごめん、忘れてて。

 

 

普段の建築の実務のセミナーなどのタイトルで、
「設計事務所が生き残るには」とか「令和を勝ち抜く工務店とは」とか「企業の成功や成長」といったお題目を見かけるたびに、「なんか違う」「なんか気持ち悪い」「なんも来ん!」「なんも響かん!」と強烈な違和感を覚えていました。

 

自分や自社の利益だけを追っているのでは物事の真理からどんどん離れていくばかり。
自分の直接的な利益にはならないけど、未来への持続や周辺への繋がりを探っていくことが人の幸せにつながるのではないかというボンヤリした思いがあります。

 

たぶん自分の感覚は間違っていない。
木のこと、自然のこと、家のこと、人のこと、時々は自分の原点を思い出すようにいろんな源流や取り組みを訪ねたいなぁと思います。

 

 

 

 

2019年10月18日    

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